終戦とその後。 in Potsdam, Berlin
Berlinの中心部から電車に乗り1時間ほど、Potsdamの街にやってきた。駅で、一昨年ワールドカップを見に行ったときに食べた豚の塊を見つけたので、少し早い昼食をとる。塩加減が絶妙であっさりしていて美味い。 映画博物館。 Berlin映画祭に見てとれるように、この国の映画は、映画史に残る名作が多く、そのうちの幾つかはPotsdamの郊外で撮影されたそうだ。
Amsterdam調の赤煉瓦の通りが眩しくもある晴れ間が見えるとやはり清々しい気分になる。 訪れた新宮殿はサンスーシ公園の西の外れにある。ここはUNESCOの世界遺産に指定されているようだ。 オランジェリーや現役の風車を車窓に眺め、サンスーシ宮殿に向う。 サンスーシとは、フランス語で「憂いのない」という意味だそうで、この宮殿はプロイセンの王フリードリヒ大王が夏の居城として18世紀に築いたロココ式の宮殿である。階段状のぶどう園の上に立つ明るい色調の宮殿だ。 そして、王は、生前人間嫌いで、犬達を愛し、その願いにより、その愛した11匹の犬達と共に宮殿の傍らに静かに眠っている。 フリードリッヒ大王の宮殿を後にして、訪れたのは、日本にも所縁ある地。第二次世界大戦の末に日本がこれを受入れることで終戦を迎えた宣言。それが協議され、宣言された場所がここにある。 この静かな湖のほとりのツィツィーリエンホーフ宮殿にて、当時の米国大統領であったHarry S. Trumanにより原子爆弾開発実験の成功が伝えられ、この国の戦後処理を決めたポツダム会談が行われた。 そして、この平和でかつ情緒豊かな自然の中での会談が、この国の人々にも悲痛な運命をもたらすことになった。 戦後、東ドイツの中に、西ドイツの飛び地としてあった西ベルリンを囲む形で建てられた壁。西側に流出する人の流れを絶つために東ドイツによて建てられ、突如として家族や恋人との行き来すらを奪ってしまった壁。かつては崩壊することなど考えられなかった壁である。東欧に、怒涛のように吹き荒れた改革の波が、1989年にこの国にも訪れたあの歴史的瞬間を、テレビの画面を通して眺め、驚きを覚えた記憶が残っている。
その歴史的意義がなければ、一見して「ただの壁」に過ぎないが、この天気と相俟って何となく感じ入るものがあり、寒空の中、壁に沿って歩いた。
最後に時間が残って再び訪れたペルガモン博物館。 British Museumには遥かに及ばない気もするが、ここにもやはり、「どうやってこんなものを運んできたのだろう。」と思わせる圧巻のコレクションを目にすることができた。
Amsterdam調の赤煉瓦の通りが眩しくもある晴れ間が見えるとやはり清々しい気分になる。
その歴史的意義がなければ、一見して「ただの壁」に過ぎないが、この天気と相俟って何となく感じ入るものがあり、寒空の中、壁に沿って歩いた。
by gentlemandinner | 2008-03-02 23:08 | travel