テーベの遺跡満喫。 in Luxor
古代エジプト、中王国の第11王朝から新王国の第18王朝まで都が置かれたテーベ。それが現在のLuxorである。従って、この街の近郊には東岸にカルナック神殿やルクソール神殿、西岸には王家の谷や王妃の谷、ラムセス2世、3世やハトシェプスト女王の葬祭殿など、名だたる遺跡群がひしめき合っている。
最初に訪れたのが王家の谷。 新王国時代のファラオの墓が集中し、現在まで24の王墓を含む64の墓が発見されている。墓の中はいずれも撮影が禁止されていた。正直なところ、この場所が最もカメラに収めたい場所だったと思う。
とりわけ最初に入ったラムセス4世の墓は、ツタンカーメンのそれよりも、はるかに広く、そして、白い石灰岩の壁という壁に赤や黄、蒼といった色鮮やかな象形文字と絵がオリジナルのものとして残り、これまで見てきた肌色一色の壁画とはまた違って、はっとさせられる美しさがあった。
ツタンカーメンの墓。、英国カーナヴォン卿の支援を受けた考古学者ハワード・カーターにより発掘されたことはあまりにも有名な話。この谷で62番目に発見された王墓である。 彼の墓を除く63の墓は全て盗掘の被害に遭っており、唯一その亡骸と共に黄金のマスクを初めとした副葬品、財宝の類が完全な形で発見された。ツタンカーメンの墓には、そのミイラが置かれていたのだが、それよりも、その部屋の狭さ、簡素さに驚きを覚えた。先に書いたラムセス4世や、他に立ち入ったラムセス1世、3世の墓に比して、はるかに小さく、部屋の彩色もない。恐らくは、若干18歳にして亡くなり権力も脆弱であった王であるが故の違いということになるのだろう。盗掘により持ち去られた他の王墓の財宝のスケールは想像し切れないものがある。
ホテルを出た辺りでは肌寒さも感じたものであったが、既に太陽の光は強烈で、辺りの空気は熱気を帯びている。王家の谷を離れて、続いてはハトシェプスト女王の葬祭殿を訪れる。 女王の亡き後に、トトメス3世によって大部分が破壊され、現代に至って再建されたものであり、オリジナルの部分は少ないそうだ。 ところで、ここは1997年に日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名、合わせて63名が死亡した、いわゆるルクソール事件が起きた場所である。恐らくはその後には外国人観光客は激減したのであろう。例えば、先のツタンカーメンの墓に入るためだけに1600円くらいの入場料が要求されるのだが、これはこの国の生活物価から考えれば法外な値段である。外国人観光客がこの国に落としていく外貨がこの国の財政に大きな意味を持つはずで、政府はテロの一掃に躍起になったと言われている。観光ルートのあちらこちらで検問が行われ、ほぼ全ての遺跡で荷物と身体のX線検査が行われていた。もっとも「ピーピー」鳴ろうが、お咎めなしで通過でき、「形だけやっている。」という印象が拭えないものであったのだが。
続いて、ガイドの薦めに乗って、ラムセス3世の葬祭殿にやってきた。 神殿そのものの保存状態もよく、柱や壁の壁画には、何千年も前の色彩が色褪せながらも残っている。建設当時は非常に華やかなものだったのだろう。 西岸観光の最後に訪れたのは、メムノンの巨像と言われる場所。 2体のアメンホテプ3世の像で、高さは20メートル近い。元々は、背後に葬祭殿が控えていて、その入口の部分だったそうだが、葬祭殿はメルエンプタハという方が自身の葬祭殿の石材調達のため破壊したらしい。
西岸観光を終え、東岸のカルナック神殿の傍でランチにした。ガイドは家庭的エジプト料理だと絶賛していたが、観光客向けのワンプレート・ランチといった雰囲気でお世辞にも美味いとは言い難かった。
昼下がりともなればこの季節でも気温は30度を超える。しかし、街中の地元の人たちは上着を着ていたりして、私が感じているほどには暑さを感じていないようだった。
さて、カルナック神殿。 中王国の時代から2000年にも渡って、多くのファラオが拡張し、取り壊し、修復を繰り返してきた古代エジプト最大の神殿だそうだ。神殿は多方向に広がりを見せ、その拡張の跡が見られ、とにかく広い。そして、ラムセス2世の虚像やら、羊の頭をしたスフィンクスやら、オベリスクやら、「らしい」ものが満載である。 そして、最後はLuxorの市内中心部にあるルクソール神殿。元々、カルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として建立されたそうだ。3キロも離れたアメン大神殿とはスフィンクスが両脇に立ち並ぶ参道で結ばれていたという。 正面には、ここにもラムセス2世の巨像が立ち、そしてオベリスクを見ることができる。もう一本あったオベリスクは、現在はParisのコンコルド広場に立っている。 ホテルに戻り、ナイル川の向こうに静かに沈んでいく夕陽を眺める。何だか悠久のひと時…。 日が沈んで夜には、ガイドさんの絶賛に乗せられてカルナック神殿の「光と音のショー」なるものを見に行った。 ショーそのものは期待はずれもいいとこであったが、ライトアップされた神殿は美しく、闇夜に照らし出されたその規模の大きさに改めて驚きを感じた。
最初に訪れたのが王家の谷。
とりわけ最初に入ったラムセス4世の墓は、ツタンカーメンのそれよりも、はるかに広く、そして、白い石灰岩の壁という壁に赤や黄、蒼といった色鮮やかな象形文字と絵がオリジナルのものとして残り、これまで見てきた肌色一色の壁画とはまた違って、はっとさせられる美しさがあった。
ツタンカーメンの墓。、英国カーナヴォン卿の支援を受けた考古学者ハワード・カーターにより発掘されたことはあまりにも有名な話。この谷で62番目に発見された王墓である。
ホテルを出た辺りでは肌寒さも感じたものであったが、既に太陽の光は強烈で、辺りの空気は熱気を帯びている。王家の谷を離れて、続いてはハトシェプスト女王の葬祭殿を訪れる。
続いて、ガイドの薦めに乗って、ラムセス3世の葬祭殿にやってきた。
西岸観光を終え、東岸のカルナック神殿の傍でランチにした。ガイドは家庭的エジプト料理だと絶賛していたが、観光客向けのワンプレート・ランチといった雰囲気でお世辞にも美味いとは言い難かった。
昼下がりともなればこの季節でも気温は30度を超える。しかし、街中の地元の人たちは上着を着ていたりして、私が感じているほどには暑さを感じていないようだった。
さて、カルナック神殿。
by gentlemandinner | 2008-03-11 23:20 | travel